製薬業界大手の中外製薬株式会社が、生成AIとAIエージェントを全社的に展開しています。創薬研究から臨床開発、安全性評価まで幅広い領域において、AIを活用した業務効率化と開発スピードの向上を実現しました。
長期の開発期間を要する新薬開発において、データに基づく科学的な開発プロセスへと変革したこの取り組みは、業界全体の注目を集めています。
約7,600人の全社員が利用可能で、平均約3,000人がアクティブユーザーとして日常的に活用するAIアシスタントから、創薬プロセスの高度化まで、その革新的な取り組みを追っていきます。
新薬開発の課題解決を目指したAI活用への挑戦

「開発スピードと品質」という理念と現実のギャップ
中外製薬では医薬品開発における効率性と成功率を重視していますが、創薬・開発の現場では以下のような課題を抱えていました。
| 課題領域 | 具体的な問題 |
|---|---|
| 開発期間の長期化 | 新薬開発には長期間を要し、研究開発投資の効率化が求められていた |
| 情報アクセスの非効率性 | 治験文書作成や資料検索業務が大きな時間的コストに |
| 業務プロセスの属人化 | 文書作成、データ分析、安全性評価などの業務が属人化し、ナレッジの共有や標準化が困難 |
製薬業界に特化したAIの内製開発_Chugai AI Assistant
中外製薬の特徴的な取り組みが、「Chugai AI Assistant」の内製開発です。わずか2か月という短期間で開発・展開され、3,000人超の社員が日常的に活用しています。
社内のtech工房チームが中心となり、1週間単位のスプリントで進めるアジャイル開発手法を採用。製薬業界特有の業務要件に対応するため、以下のプロセスでAIを開発・導入しました
開発プロセスの特徴
- 複数のLLM(AWS Bedrock Claude3、Azure OpenAI GPT-4、GPT-4o)を評価・選定
- 1週間単位のスプリントで8回の反復開発を実施
- 社員からの活用アイデアを積極的に募集し、実際の機能改善に反映
- AIサービスでの学習Opt-outにより機密性の高い創薬データも安心して活用
この内製開発により、製薬業界特有の専門用語や業務フローに最適化されたAIシステムを短期間で構築できました。理念と現場のギャップを埋めるDX推進の核として、AI活用による科学的な開発プロセスへの転換が始まっています。
生成AI×AIエージェント:全社的なAI活用システム
中外製薬が展開する本システムは、生成AIアシスタントによる日常業務支援から、AIエージェントによる臨床開発業務の自動化まで、多層的なAI活用を実現しています。
システムの主な特徴
全社員向けAIアシスタント「Chugai AI Assistant」
- 文書作成、情報検索、データ分析などで日常的に活用
- わずか2か月で開発・導入を完了
- 現場からのAI活用提案が活発化し、社員主導の改善文化が定着
高度なAIエージェント実装
- 治験文書作成、データ分析、プロトコル作成の自動化を推進
- 2025年1月、ソフトバンク、SB Intuitionsと共同研究を開始
- 臨床開発業務の短縮・効率化を加速
AIアシスタント・AIエージェントによる業務革新機能
AIアシスタント機能
| 技術・取り組み | 内容 | 効果 |
|---|---|---|
| RAG技術の活用 | Googleの生成AI技術(Gemini、Vertex AI Search、BigQuery)を医薬安全性本部で活用 | 資料検索・収集業務を効率化 |
| MR育成ツール | 医師との対話シミュレーター「MediMentor」を開発 | MRのスキル向上と効率的な育成 |
| メディカルライティング支援 | 副作用情報の分析・評価文書作成を支援 | 業務経験の少ないメンバーの育成 |
AIエージェント機能
| 技術・取り組み | 内容 | 効果 |
|---|---|---|
| 臨床開発業務の自動化 | 治験文書作成、データ分析、プロトコル作成を自動化 | 臨床開発業務の短縮・効率化 |
| 組合せ予測の効率化 | NECとの共同研究でがん治療薬の組み合わせ予測にAI活用 | 調査・予測時間を約50%短縮 |
創薬・臨床開発への具体的な適用

創薬プロセスの革新

中外製薬は、機械学習やディープラーニング等のAI技術を創薬分野に活用しています。
以下のような領域でAIが創薬プロセスを革新しています。
- 疾患ターゲット探索・分子デザイン
疾患ターゲット探索や医薬品分子デザインへのAI活用により、創薬プロセスの大幅な短縮と成功確率の向上を目指しています
- 抗体の構造設計
新薬候補となる抗体の構造設計において、機械学習を活用することで大量のデータを解析し、最適な新規分子配列を自動で生成。従来は研究員が試行錯誤を繰り返していた作業が、AIにより効率的・高速に実施可能に
- 中分子創薬への応用
抗体にとどまらず、中分子創薬プロジェクトでも応用されています
- 深層学習技術の活用
Preferred Networksとの包括的パートナーシップにより、深層学習技術を新薬創出に応用
臨床開発プロセスの効率化
臨床開発業務においても、AIエージェントが大きな役割を果たしています
- マルチエージェントシステム
複数のAIエージェントが連携し、治験文書作成、データ分析、プロトコル作成を自動化
- 共同研究の推進
2025年1月からソフトバンク、SB Intuitionsとの共同研究を通じて臨床開発業務の短縮・効率化を加速
- 組合せ予測の効率化
NECとの共同研究では、がん治療薬の組み合わせ予測にAIを活用し、調査・予測時間を約50%短縮
- リアルワールドデータ解析
AIを活用したリアルワールドデータ・デジタルバイオマーカー解析による臨床開発プロセスの革新を目指し、早期臨床データを基にした高精度な予測によるPoC判断の早期化にも取り組んでいます。
中外製薬のAI導入課題と対応策

中外製薬のAI導入における主な課題と、それに対する対応策を整理します。
主要な3つの課題と対応
1.セキュリティとプライバシーの確保
- 課題:医療データや機密情報を扱う製薬業界において、厳格なセキュリティ対策が不可欠
- 対応:AIサービスでの学習Opt-outにより業務情報の漏洩を防止し、機密性の高い業務でも安心して生成AIを活用できる環境を構築
2.AIの精度と信頼性の担保
- 課題:生成AIの活用には、専門知識を持つ人材との適切な協働が必要
- 対応:複数のAIエージェントが連携するマルチエージェントシステムと人が協働することにより、臨床開発におけるさまざまなタスクを効率化
3. 業務スキルの向上とAI活用の推進
- 課題:専門性の高い業務において、経験の少ないメンバーの育成が必要
- 対応:MR向けの対話シミュレーター「MediMentor」やメディカルライティング支援など、生成AIを活用した育成ツールを開発
段階的なアプローチで成功した導入プロセス
中外製薬のAI活用は、内製開発による迅速な展開と、現場からのボトムアップのアイデアを取り入れる双方向のアプローチにより、組織全体でのAI活用が実現しました。
フェーズ1: 全社員向けAIアシスタントの開発・展開
tech工房チームが「Chugai AI Assistant」を2か月で開発。1週間単位のスプリントで開発を進め、約7,600人の全社員が利用可能な基盤を構築。
フェーズ2: 専門業務へのAI適用拡大
医薬安全性本部でRAG技術を活用したシステムを導入し、資料検索業務を効率化。NECとの共同研究も開始。
フェーズ3: AIエージェントの実装と全社展開
2025年1月からソフトバンクと共同研究を開始し、臨床開発業務への生成AIエージェント実装を本格化。
数字が語る変革の成果と実感される効果
業務効率化がもたらした時間とコストの削減
- 「Chugai AI Assistant」の導入により、平均約3,000人の社員の日常業務が改善
- がん治療薬の組み合わせ予測時間を約50%短縮(NECとの共同研究)
- ピーク時には30分で300kトークンが利用されるなど、活発にAIが活用されています
- 安全性評価部門での資料検索作業が効率化し、情報アクセス時間を大幅に短縮
未来を切り拓くAI創薬:中外製薬の展望と可能性
中外製薬は、疾患ターゲット探索から分子設計、臨床開発に至る創薬プロセス全体へのAI技術の適用を推進しています。今後は以下の領域での深化が見込まれます。
1.創薬技術の高度化
- 疾患ターゲット探索や医薬品分子デザインへのAI活用により、創薬プロセスの大幅な短縮と成功確率の向上を目指しています
- Preferred Networksとの包括的パートナーシップにより、深層学習技術を新薬創出に応用
2.データ活用の拡大
- AIを活用したリアルワールドデータ・デジタルバイオマーカー解析による臨床開発プロセスの革新を目指しています
3.AIモデルの継続的な改善
- RAG技術の導入や新しいモデル(Gemini Proなど)の順次リリースを予定
- 1週間単位のスプリントによる継続的なアップデートと機能追加
まとめ—中外製薬の成功に学ぶ「AI×製薬」導入の鍵
中外製薬が展開する「生成AIとAIエージェントによる全社DX」は、医薬品開発の生産性と品質を同時に向上させる画期的なソリューションです。内製開発による迅速な展開と、現場からの活発なアイデア提案という成果は、製薬業界のDX推進における重要な転換点となりました。
製薬業界が直面する課題とテクノロジーの可能性
製薬業界は開発期間の長期化、人手不足、開発コストの高騰など多くの課題に直面しています。中外製薬の事例は、これらの課題をAI技術で解決する道筋を示しており、業界全体のモデルケースとして今後の展開が期待されます。
トップダウンの指示だけでなく、現場からのボトムアップのアイデアを積極的に取り入れた本取り組みは、持続可能なDX推進の鍵を示しています。生成AI、AIエージェントによる医薬品開発の変革は、もはや未来ではなく現実となりつつあります。


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