「言葉から香りを創作するAI」の研究が現在世界的に進められ、私たちの生活の中にも少しずつ浸透してきているのはご存じですか。
この記事では、最後のデジタル化領域である嗅覚がAIによって再現される現在のAI技術についてご紹介します。

なぜ今、匂いとAIなのか
嗅覚は人間の五感の中でも最も理解が進んでいない感覚とされていて、視覚や聴覚のように簡単にデータ化・モデル化できませんでした。研究がなかなか進まなかったのには、AIによる再現に以下のような課題が存在したためです。
◇匂いは化学的情報であり、視覚・聴覚のようにデジタル化が難しい
◇センサの感度や識別精度に限界がある
◇人によって香りの感じ方が異なる(個人差が大きい)
色や音には「RGB(光の三原色は赤(Red)、緑(Green)、青(Blue))」「周波数」のような明確な数理的基盤がありますが、匂いは膨大な分子パターンが組み合わさって初めて成立するため、これまで機械的な表現が困難とされてきたのです。

しかし、匂いがデジタル化され、人が自在に認識・再現できるようになれば、これまで想像もしなかった研究や応用領域が多くの分野で一気に広がると期待されています。その分野は、医療、文化、環境の保存など幅広い範囲に及びます。また、各国で進んでいる研究はそのアプローチの違いから、実社会での活用の用途も様々になってきていることが明らかになってきています。
最も理解が進んでいないとされている匂いとAIとの研究はいつ頃から始まり、現在どのような段階にきているのでしょうか。そして、それぞれの国でどのように研究が進められているのでしょうか。
世界のAI×嗅覚研究の流れ
AIを使った嗅覚の研究は、2010年代後半から徐々に始まり、2020年代に入って本格化したとされています。特に2024〜2025年以降は、医療・香料・環境分野での応用が急速に進んでいます。

【表作成参考リンク】
・「Springer」https://link.springer.com/article/10.1007/s10462-025-11309-4
・「世界経済フォーラム」https://jp.weforum.org/stories/2025/06/olfactory-intelligence-how-ai-is-digitizing-our-sense-of-smell/
・「arXiv」https://arxiv.org/html/2510.19660v2
・「Digital Olfaction Society」https://digital-olfaction.com/
・「RSC Publishing」https://pubs.rsc.org/en/content/articlehtml/2025/ra/d5ra06959a
研究や実装に関してはアメリカ、欧州が先進国となっていますが、日本でも研究は進んでおり、日本は他国とは違った視点で研究や実装が進んでいます。
▣官能評価(ヒューマンパネル)・感性工学との融合が進んでいる、日本
日本の嗅覚研究は、香料・食品・日用品などの分野で人間の官能評価を中心にした研究が伝統的に発展してきました。それは、日本という国が人の感性を中心にした評価文化が強いという性質があるからです。このことは、日本に一般社団法人 日本官能評価学会というものが存在することからも、官能評価が国内で体系化され、産業界・学術界の双方で重要な位置づけを持ってきたことがうかがえます。それは、香りや味といった感性を重視する日本独自の文化が、官能評価の発展を後押ししてきたためと考えられます。
研究や開発に多少の遅れをとっているとはいえ、日本官能評価学会誌に掲載された、大阪大学の研究論文「ヒト嗅覚受容体発現セルアレイセンサーによる匂い情報 DX の実現」では、40万種類以上に及ぶ匂い分子をデジタルデータ化することで匂いを再現する・再構成する可能性を探る研究が進められていると語られています。
▣センサ技術とAIの統合に力を入れている、欧米
一方、欧米ではAIを使った嗅覚のデジタル化とセンサとAIを活用した匂いの識別についても研究が進められており、匂いに対して工学的な観点から研究が取り組まれている様子がうかがえます。
米国・ポーランドの研究者による論文では、高密度化学抵抗センサ(HCSA)+AI(GNNなど)を統合した人工嗅覚システムが開発されたり、米国企業 Ainosがヨーロッパ・ドイツ・台湾・中国で AI Nose (AI搭載の嗅覚センサー技術)の特許を取得し、産業・医療向けに商用化を進めていると発表しています。
日本国内においても大手企業のシャープやパナソニックが人工嗅覚の開発に積極的に参入していくなど、AIを活用することで、低コストで高い判定精度の技術開発を実現しています。
国内外の匂い×AIプロジェクト
▣日本
・東京科学大学(Science Tokyo)の生成AI香り研究
東京科学大学では、言葉や記述子から香りのブレンドをAIで自動算出するモデル(OGDiffusionなど)が開発されています。実験では、人間の嗅覚で言語イメージに近い香りを生成できることも確認されています。VR/メタバースの香り同期や医療や教育現場での感情サポートなどの分野での応用が期待されています。
・SCENTMATIC株式会社
AIを使って香りの言語化や香水のレコメンデーションを行うサービス「KAORIUM」を導入し、体験型の香り提案を実施。このサービスを導入したショップなどからは、「KAORIUMを導入したあるフレグランスショップでのデータでは、KAORIUM導入中の入店率は139%にアップし、集客に貢献。また、体験者の買上率も287%と大幅に上昇し、香水の購買行動に大きく影響を与えることが示唆された」*との報告も上がっています。(*公式サイトより引用)
▣アメリカ
・Osmo(オズモ)
Osmo は Google Brain の研究者らが中心となって設立されたスタートアップで、もともとは Google Research 内で「嗅覚のAI化(デジタル嗅覚)」を研究していたチームが独立して生まれた会社です。Google Brainでは匂いの特徴をベクトル空間上の座標として表す地図【Principal Odor Map】を作成しており、AIが「匂いそのもの」を数値化・予測できるようになっています。これらの技術を応用して、AIによるデジタル嗅覚プラットフォームを開発し、分子構造と匂いを結びつけたAIモデルで香り生成や予測を行っています。具体的には、分子構造と匂い言語(“フローラル”“スパイシー”など)を紐づけるといったAIの特性があります。香水やフレーバーの生成、より強力・持続性のある虫よけ分子の探索など実用に向けて提携研究が行われています。
・Ainos Inc.
Ainos Inc.はAInoseというAI搭載の嗅覚センサー技術を開発しました。AinosはMicro Electro Mechanical Systems(MEMS)技術を通じ、複雑な臭気データを効果的に収集する独自のマイクロアレイセンサーを開発し、ヘルスケアの分野でAIの活用を大きく広げました。AI NoseはMEMSガスセンサーと13年間にわたるヘルスケアと産業用途の匂いデータを活用した独自のAIモデルを使用して、匂いを「Smell ID」としてデジタル化します。簡単な呼吸の動作で、感染症の検測と分析を行うことができます。家庭内の空気環境や健康観察のために家に設置することも勧められています。その活用は、介護分野でも進んでいます。また、2025年には日本を含む複数企業と提携し、日本のugo株式会社との協業においては匂いセンサー搭載ロボットとして世界初の匂いを感知できるロボットが実現しました。一層多くの分野における安全性向上への貢献が期待されています。
▣スイス
・Firmenich(フィルメニッヒ)
スイスを拠点とする世界最大級の香料&フレーバー大手の Firmenich(フィルメニッヒ) は、AIを使った香り・風味創造ツールで 「Digital Innovation Of The Year(デジタルイノベーション賞)」を受賞 しました。AIを使ったFormulae Generatorというツールは過去の香料データを学習し、香り分子の組み合わせをAIで生成・提案することで、調香師の創造性を補完するというものです。これは、AIが香りの配合候補を生成、実際の商品開発プロセスに組み込むといった点でAIが実際に香り作りの創造過程に入った実例といえるでしょう。
まとめ
匂いは長らく「デジタル化できない感覚」とされてきました。しかし近年、AIとセンサ技術、分子科学の進展によって、嗅覚はようやくデータとして扱われ始めています。言葉から香りを生成する研究、人の嗅覚受容体を模したセンシング、AIによる匂いの識別や予測。これらはまだ発展途上である一方、すでに産業や医療、文化領域で具体的な実装が始まっています。
AIが匂いを「理解し、記録し、再構成する」未来は、もはや空想ではありません。嗅覚という最後の未踏領域が開かれつつある今、私たちは人間の感覚そのものを再定義する入り口に立っているのかもしれません。


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